ロニーコールマンとは?オリンピア8連覇は初出場16位から|363kgを2回挙げた記録と、車椅子から「2027年1月に歩く」と語る今

2026年10月14日 公開 / 2026年10月14日 更新
大柄なボディビルダーが重いバーベルを床から引き上げる構えをとり、その後ろに空の車椅子が置かれたイラスト。バーベルのプレートをライム色で示している

ロニー・コールマン(検索では「ロニーコールマン」とも書かれます)は、ボディビルの最高峰ミスター・オリンピアのメンズ・オープンを1998年から2005年まで8連覇した選手です。8回はリー・ヘイニーと並ぶ歴代最多。ただし最初から強かったわけではなく、初出場の1992年は16位、優勝する前年の1997年も9位でした。現役時代は800ポンド(約363kg)のデッドリフトとスクワットを2回ずつ挙げる映像で知られ、引退後は背中と股関節の手術を重ねて、いまは車椅子で移動しています。

「何がそんなにすごいのか」と「なぜ今の体になったのか」は、どちらもこの人を調べた読者が抱く問いです。前者は戦績表で、後者は手術の経緯を日付つきで並べることで答えます。

  • ミスター・オリンピアは1998〜2005年の8連覇。リー・ヘイニーと並ぶ歴代最多で、初出場の1992年は16位だった
  • デッドリフトとスクワットで800ポンド(約363kg)を2回ずつ挙げた映像が残る。ただし大会の公式記録ではない
  • 引退後に背中を中心に13回を超える手術を受け、両股関節は人工関節。現在は車椅子を使う
  • 2025年3月に本人が「2027年1月には歩いている」と発言。2026年10月14日時点で、達成の発表は見つけられなかった

大会そのものの仕組み(招待制であること、どう採点するか、歴代王者の一覧)はミスター・オリンピアとは?歴代最強と大会の仕組みにまとめてあります。あちらが大会の解説、こちらは8回勝った1人の選手を、戦績と現在まで追う人物の記事です。

経歴の早見表|1964年生まれ、警察官を続けながらオリンピア王者に

コールマンは1964年5月13日、アメリカ南部のルイジアナ州モンローで生まれました。海外の自動生成のプロフィールページには誕生日を3月13日とするものがありますが、英語版Wikipediaは5月13日で、本記事もこちらに合わせています(2026年10月14日確認)。

大学はグランブリング州立大学で、アメリカンフットボール部に推薦なしで入ってラインバッカーを務め、1989年に会計学の学位を取って卒業しました。卒業後に就いた仕事はテキサス州アーリントン市の警察官です。警察官として働きながらボディビルの大会に出始め、1990年にミスター・テキサスのヘビー級と総合で優勝し、プロの道に入りました。

項目内容区分
生年月日・出身1964年5月13日、ルイジアナ州モンロー記録
本業アーリントン市警の警察官(1989〜2000年)、2003年まで予備役記録
アマチュア時代1990年ミスター・テキサス優勝(ヘビー級・総合)記録
プロでの優勝IFBBプロ通算26勝(うちアーノルド・クラシックは2001年の1回)記録
身長180cm(5フィート11インチ)公称
体重大会時130〜136kg、オフ143〜150kg公称

表の右端で「記録」と「公称」を分けました。順位や優勝回数は大会の結果として残る数字ですが、身長と体重は本人や雑誌が出してきた値で、いつどう測ったかは書かれていません。体重は時期によって10kg以上動くので、幅のある数字として受け取るのが無難です。

目を引くのは本業の年数です。8連覇の最初の3回(1998〜2000年)は、警察官を続けながら取ったタイトルでした。2000年に正規の勤務を離れたあとも、2003年までは予備役として籍を残しています。

オリンピア全戦績|16位→15位→11位→6位→9位→8連覇→2位→4位

コールマンのミスター・オリンピアの順位を、出場した年ごとに並べます。英語版Wikipediaの戦績欄にもとづき、最多優勝の回数はミスター・オリンピアとは?の歴代王者の表と照らし合わせました。

年順位その年の位置づけ
1992年16位初出場
1993年不出場ー
1994年15位1つだけ上がる
1995年11位順位を4つ上げる
1996年6位上位6人に入る
1997年9位一度順位を落とす
1998年優勝初優勝。前年9位からの頂点
1999〜2005年優勝7年続けて防衛し8連覇
2006年2位ジェイ・カトラーに敗れ連覇が止まる
2007年4位この大会を最後に引退

表を上から読むと、この選手の8連覇が「最初から別格だった人の記録」ではないことがわかります。出場してから5大会、トップ5にすら届いていません。1996年に6位まで上がっても、翌年は9位に下がりました。そこから1年で優勝まで届き、そのあと8年、オリンピアでは一度も負けなかった、という並びです。

2006年に連覇を止めたのはジェイ・カトラーで、翌2007年もカトラーが勝ち、コールマンは4位で現役を終えています。

8連覇はどれくらいの記録か|ヘイニーと並ぶ最多、シュワルツェネッガーより1回多い

メンズ・オープンの最多優勝は8回で、コールマンとリー・ヘイニーの2人しかいません。次が7回のアーノルド・シュワルツェネッガーとフィル・ヒースです。

選手優勝回数優勝した年
リー・ヘイニー8回1984〜1991年(8連覇)
ロニー・コールマン8回1998〜2005年(8連覇)
アーノルド・シュワルツェネッガー7回1970〜1975年、1980年
フィル・ヒース7回2011〜2017年(7連覇)

ヘイニーとコールマンはどちらも、オリンピアでは途中で一度も負けていない8連覇です。シュワルツェネッガーは6連覇のあと1976〜79年の4大会に出ず、1980年に復帰して7勝目を足していて、勝ち方の形が違います。7回の内訳と1980年の論争はアーノルド・シュワルツェネッガーの記事に、大会ごとの戦績表で書いてあります。

もうひとつの記録が、初優勝の前の年の順位です。前年9位からの初優勝は、歴代王者の中でも際立って大きな上がり幅です。2026年に前年6位から初優勝したニック・ウォーカーも、この点で比べられたのはコールマンでした。ウォーカーの記事には、前年6位より低い順位から初優勝した王者は1997年9位のコールマンしかいないと書いてあり、その上がり幅がいかに例外的かがわかります。

800ポンドを2回挙げた映像|デッドリフトは2000年、スクワットは2003年

コールマンの名前が、ボディビルを見ない人にまで広まったのは、トレーニング映像のおかげでした。英語版Wikipediaが挙げているのは次の2本です。

種目重量と回数収録された映像
デッドリフト800ポンド(約363kg)×2回『The Unbelievable』(2000年)
スクワット800ポンド(約363kg)×2回『The Cost of Redemption』(2003年)

どちらもオリンピアの現役王者だった時期の、練習の一場面です。パワーリフティングの大会で審判が判定した記録ではないので、「世界記録」と並べて比べる数字ではありません。それでも、大会時でも体重が130kgを超えるボディビルダーが、見た目を作るための練習の中で363kgを2回挙げていたことは、映像として残っています。

デッドリフトは床からバーを引き上げる種目で、背中・お尻・太ももの裏側を一度に使います。

デッドリフト
デッドリフトのフォームと、主に効く部位(背中・お尻・太もも裏)を示した図
効く部位 背中お尻太もも裏

初心者がまず覚えたいのは重さではなく、腰を丸めずに床から引くフォームです。足幅、バーの位置、腹圧の入れ方はデッドリフトのやり方に、腰を痛めないための注意から順に書いてあります。コールマンの映像は記録の話、あちらは自分が最初の1回を安全に挙げるための話です。

スクワットはバーを担いでしゃがみ、立ち上がる種目で、太ももの前と裏、お尻が主に働きます。

スクワット
スクワットのフォームと、主に効く部位(太もも・お尻・太もも裏)を示した図
効く部位 太ももお尻太もも裏

自体重から始める場合のしゃがむ深さや、膝が痛くなるフォームの見分け方はスクワットの正しいやり方で扱っています。

映像のもうひとつの名物が、挙げる前後に叫ぶ掛け声でした。「Yeah buddy!(よっしゃ!)」「Light weight, baby!(軽い軽い!)」「Ain’t nothin’ but a peanut!(ピーナッツみたいなもんだ)」といった言葉は、ジムの冗談や動画の切り抜きを通じて、本人を知らない世代にまで届いています。日本のボディビル大会で客席から飛ぶ「ナイスバルク!」「キレてる!」は、選手が自分を鼓舞するコールマンの叫びとは違い、観客が選手を褒める言葉です。どんな意味で何を褒めているかはボディビルの掛け声 一覧で読めます。

現在|13回を超える手術、車椅子、2025年の敗血症

2007年に引退したあと、コールマンは背中と股関節の手術を繰り返してきました。英語版Wikipediaは「2007年以降に十数回を超える手術を受け、その中に両股関節の人工関節置換が含まれる」とし、介助なしには歩けず車椅子を使っていると書いています。2025年3月の Fitness Volt の記事では、背中の手術だけで計13回とされています。

2018年には、その生活を追ったドキュメンタリー『Ronnie Coleman: The King』(ヴラッド・ユーディン監督)がNetflixで配信されました。英語版Wikipediaは、本人が現役時代の選択を悔いていないと伝えています。

2025年には命にかかわる出来事がありました。日付順に並べます。

日付出来事出どころ
2025年6月30日医療上の緊急事態でイギリスでのイベントを欠席すると発表本人の発表
2025年7月1日専門の医療施設に移り、血流の感染症の治療中と家族が発表家族の声明(Fitness Volt が報道)
2025年7月7日深刻だが安定し回復の兆しがある、別に手術が必要な問題が見つかったと家族が発表家族の声明
その後退院して自宅に戻ったと報道Fitness Volt(退院の日付は確認できず)

家族の声明は「血流の感染症」という言い方で、敗血症という言葉はメディアと英語版Wikipediaの表現です。どちらにしても、2025年の夏は回復するかどうかが分からない状態がしばらく続きました。

「重い重量のせいで歩けなくなった」とは言い切れない|手術とスクリューの経緯

コールマンの今の姿は、「重いものを挙げすぎた代償」として語られることが多い話題です。ただ、本人の発言と報道を並べると、そう単純には書けません。原因をめぐって何が言われてきたかを、言った人ごとに分けます。

誰が何と言っているか時期・媒体
英語版Wikipedia長年扱った極端な重量が体に負担をかけた2026年10月14日確認
本人術後に病院で体をかがめたときにスクリューが折れ、手術をやり直した2018年、Muscular Development の動画インタビュー(Fitness Volt が報道)
本人手術の失敗は、練習を早く再開しすぎたせいではない同上
本人スクリューを直すために3回ほど手術した。2週間のうちに続けて2回受けたこともある2025年3月のYouTube動画(Fitness Volt が報道)
記事の筆者大手術のあとに重いものを挙げるのは良くない。本人は明らかに急ぎすぎた2018年、Fitness Volt の筆者の意見

この表から読み取れるのは、少なくとも3つの要素が重なっていることです。現役時代に背骨と股関節へかかった長年の負荷、引退後に受けた手術、そして手術のあとに起きた金具の破損と再手術です。本人は「練習の再開が早すぎた」という見方を否定していますが、別の場面では「スクリューが折れたのは練習中ではなくリハビリ中だった」とも話していて、2018年の Fitness Volt の記事もその食い違いを指摘しています。

重量が下地をつくった可能性は残るものの、車椅子に至るまでには手術とその合併症が何度も挟まっていて、どれがいちばん大きかったのかを外から決める材料はありません。医師の診断書が公開されているわけでもないので、ここで書けるのは「本人と報道がこう言っている」までです。

本人が掲げた「2027年1月」の目標と、2026年10月の現状

2025年3月24日に Fitness Volt が報じた YouTube 動画で、コールマンは「2027年1月には、立って歩いている」(“in 2027 January, I will be up and walking again.”)と話しました。幹細胞治療と理学療法を続けていることが根拠で、走ることについては「あと4年ほどで走れるようになる、マラソンもできる」と言っています。海外の見出しでは「2029年に走る」と書かれていますが、これは記事側が年に置き換えた表現で、本人の言葉は「あと4年ほど」です。

この記事を書いている2026年10月14日の時点で、目標まで約3か月です。英語のニュースを当たった範囲では、歩けるようになったという本人や家族の発表は見つけられませんでした。2026年5月に車椅子で移動していると伝えた海外の報道はありますが、出どころの確かな続報ではありません。2025年の夏に一度は命の危険があったことを考えると、目標の日付どおりに進んでいるかどうかは、本人の次の発信を待つしかありません。

発言の食い違いを読むときの目安

コールマンについての英語の記事は数が多く、同じ出来事でも数字や順番が少しずつ違います。調べるときは次の3点を意識すると混乱しにくくなります。

  • 手術の回数は「背中だけで13回」と「股関節を含めて十数回以上」の2通りの数え方がある
  • 「2029年に走る」は見出しの表現で、本人の発言は「あと4年ほど」
  • スクリューが折れた場面は、インタビューによって病院とリハビリ中で話が変わっている

まとめ

  • ロニー・コールマンはミスター・オリンピアを1998〜2005年に8連覇した。8回はリー・ヘイニーと並ぶ最多
  • 初出場の1992年は16位、優勝前年の1997年は9位で、出場6回目で初優勝した
  • 800ポンド(約363kg)×2回のデッドリフトとスクワットは、2000年と2003年のトレーニング映像に残る挙上で、大会の公式記録ではない
  • 引退後は背中を中心に13回を超える手術を受け、両股関節は人工関節。2025年夏には血流の感染症で入院した
  • 車椅子の原因は重量だけとは言い切れず、手術後のスクリュー破損と再手術が重なっている
  • 2027年1月に歩くという本人の目標は、2026年10月14日時点で達成の発表がない

コールマンの話から自分の練習に持ち帰れることがあるとすれば、記録の重さではなく、16位から6年かけて頂点に届いた順位の上がり方のほうです。重量は、フォームを崩さずに挙げられる範囲で少しずつ足していけば十分に伸びます。これからデッドリフトを始めるなら、最初の1回をどの重さとフォームで挙げるかをデッドリフトのやり方で確かめてから、バーを握ってください。

ご注意: 戦績と健康状態の経緯は2026年10月14日時点で確認できた資料と報道にもとづいています。手術や治療についての記述は本人の発言と報道の紹介で、医学的な評価や助言ではありません。腰や股関節に痛みやしびれがある場合は、デッドリフトやスクワットを始める前に医療機関に相談してください。重い重量を扱う練習は、正しいフォームと少しずつ重さを増やす進め方が前提になります。

よくある質問(FAQ)

ロニー・コールマンはミスター・オリンピアで何回優勝しましたか?
8回です。1998年から2005年まで続けて勝った8連覇で、リー・ヘイニー(1984〜1991年)と並ぶメンズ・オープンの歴代最多です。初出場の1992年は16位、優勝の前年1997年も9位で、出場6回目でようやく頂点に届いています。2006年はジェイ・カトラーに敗れて2位、2007年は4位で引退しました。
ロニー・コールマンが363kgを挙げたのは大会の記録ですか?
大会の公式記録ではなく、本人のトレーニング映像に残っている挙上です。デッドリフト800ポンド(約363kg)を2回挙げたのが2000年の『The Unbelievable』、スクワット800ポンドを2回挙げたのが2003年の『The Cost of Redemption』で、どちらもオリンピアの現役王者だった時期の練習の一場面です。
ロニー・コールマンはなぜ車椅子なのですか?
引退後に受けた背中と股関節の手術が重なったためで、両股関節は人工関節に置き換えています。背中の手術だけで13回と報じられ、本人は術後にスクリューが折れて手術をやり直したと語っています。重い重量の影響を指摘する声はありますが、本人は「早すぎた練習再開が原因」という見方を否定していて、原因を1つに絞れる資料はありません。